新着エッセイ

2025/07/02
月夜見さんにこだまする
伊勢市には日本神話に出てくる超メジャーな神々が祀られている神社が沢山あります。日本神話に詳しくなくても、某、ジャンプで人気だった忍者漫画に出てくる技の名前や。某、パズルとドラゴンのスマホゲームに出てくるキャラクターの名前などどこかで聞いたことある日本の神様の神社が伊勢市にはあります。伊勢神宮は内宮と外宮の2つなのですが、それらの別宮が伊勢市内・外にいくつか鎮座しており町中いろんな場所に神社を見つけることができます。私の中で思い出深い別宮は『⽉夜⾒宮(つきよみのみや)』と呼ばれる神社でして、なぜこの神社に思い出深いかというと私の通っていた厚生小学校の裏にある神社なんですよね。この場所は子供の頃に前を通ると、いつでも暗くてちょっと怖い印象があったのですが、大人になった今行くと街中とは思えないほど凛とした自然が広がっていて良い場所だなと思う様になりました。この⽉夜⾒宮、ご祭神は月夜見尊(つきよみのみこと)。天照大御神の弟神で内宮の別宮、月読宮のご祭神と同じです。『月』という文字が使われていることから、月を神格化した夜を統べる神様とされておりますが古事記や日本神話においてほとんど出番がなく、なんだかあまりよくわかってないのが事実らしいです。地元民は『月夜見さん』とみんな呼んでおり、月夜見宮と呼んでいる人に私は出会ったことがありません。それもそのはずで、私の通っていた小学校の校歌にはこのように書かれていて一 かがやくひとみ 明るい笑顔 今日も元気で 呼び合う声が月夜見さんに こだまする 僕のわたしの 楽しい夢が 花咲く厚生小学校厚生小学校 校歌一番と6年間この校歌を歌っていれば、そりゃ月読見宮とは言わないですわな。この『さん』などの敬称を場所や無機物につける傾向は他にもあって、『外宮』『内宮』のことを地元民は『外宮さん』『内宮さん』と呼びます。私はこの『外宮さん』という言葉を見ると、死んだじいちゃんの声で読みあがってきますね。(笑)関西方面では親しみやすさを出したり、敬意を払うものに対して『さん』をつける傾向にあり関東では『様』をつける傾向があらしいですね例えば月のことを関西では『お月さん』関東では『お月様』と呼びますからね。東京に来て思いましたが、たまにこの無機物や場所に『さん』づけをする癖が出てしまうと『はぁ?』みたいな顔をされますので西の皆さん気をつけてください。(笑)月夜見宮へは、外宮北御門から北へ伸びる「神路通り」を歩いて10分かからないくらいで着きますのでぜひお立ち寄りください〜

2025/07/02
神鏡を鎮祭する『鏡宮神社』
皆さんの干支は何なんですか?私は寅年です。なぜこの話はしたのかは後ほど説明します…伊勢神宮内宮には五十鈴川が流れており、下流に行くと朝熊川という川と合流します。その合流したところには三角州ができ、そこに『鏡宮神社』という場所が存在します!神社までの道が舗装されていないので、一見わかりづらいですが軽自動車2台くらいは止める場所があります。入り口に着くとこのような道が続いており天気の良い日は非常に綺麗です。社に近づいていくと伊勢神宮内宮末社ですので、伊勢神宮にある社と同じ様式をしていますね。中洲にあるので、神社なのに木に囲われていないのが逆に新鮮ですね。この神社は「朝熊神社」の御前神、岩上二面神鏡霊(いわのうえのふたちのみかがみのみたま)を祀っていまして(朝熊神社とは朝熊川を隔てた向こう側にある森の中にある神社です)実は域内の右手奥に干潮時にのみ中洲に降りれる道ができます。この道をすすむと中洲に降りる階段があり、五十鈴川と朝熊川の合流を見ることができます。(綺麗ですね〜)後ろを振り返り神社が建っている場所の石でできた土台部分を見ると少し黒くなっている石と白いままの石が上下に分かれているのが見えると思うのですが、この黒い部分まで水が上がってくるのでやはり満潮の時はここには降りれないようですね。ここに降りる階段の近くに大きな石があり、木柵を設け神聖視されています。この岩の上に、二面の神鏡がお祀りされていた神聖な石で鏡宮神社とやばれる所以ですね。この神聖な石は『虎石』と呼ばれていまして、この石に神さまが降りてこられた依り代だとされています。とはいえ『虎』は元々日本にいない生き物なので、この石がどういう経緯でいつからそう呼ばれるようになったのかは少し謎ですね(笑)寅年の人は何か良い縁があるかもしれないので一度行ってみてはいかがでしょうか!

2025/07/02
朝熊平野を守る朝熊神社
朝熊町(あさまちょう)という町が伊勢にあります。『あさくま』でなく『あさま』と呼びます。しかし『朝熊神社』は『あさくまじんじゃ』と呼ぶようですね…地元民ほど間違えやすい!この神社は伊勢神宮内宮の摂社です。この神社は鏡宮神社と目と鼻の間くらいの場所にあり写真にある青色の橋を渡るとすぐです。(写真の右側に鏡宮神社があり左に朝熊神社)橋を渡るとこのような入り口があり上に上がる階段があります。右の小さい石の柱にはうっすらで読みづらいですが『朝熊神社』と書いてありますね。それでは登ってみましょう!境内には綺麗な綺麗な石畳が敷かれており、整理された森林の中を歩いて登っていきます。さあ社につきました!二つ社が並んでいました。ここには大歳神(おおとしのかみ)苔虫神(こけむしのかみ)朝熊水神(あさくまのみずのかみ)が祀られています。こちらの祭神はこの土地を守る神であり五穀と水の神の三柱で、向かって右側の社からお参りするのが良いそうですよ!流石に中まで写真を撮るのは失礼ですので正面の写真だけですが、この社の中の建物は私が見た感じ『高床式倉庫』と同じ形をしており五穀の神様だけあって穀物を収納しているのではないのかと思いました!朝熊御前神社と相並び、向かって右の神社を先にお参りするのが良いそうです。帰路に着く際、先ほどの石階段を見ていたのですがちょっと気になったところがあるんですよね。石階段の写真なのですが、右と左に水が流れる水路がしっかりと作られていると思いませんか?他の伊勢の神社でもこんなにしっかり階段に水路が作られている記憶がないので、ここは水の神も祀られているのでそういう儀式とかあるのかな?もし行ったときはぜひ注意してみていただければと!朝熊町の隠れた神社に行く際は徒歩や電車では基本無理なので、車で行くことをお勧めします!

2025/07/02
塩を作る神社
神宮の祭典で使われるお塩や米はスーパーで買ってきたものではありません。しっかりと太古から作る専門の神社があります。地元民が海水浴に行く候補の一つに『二見』という海沿いの地域があります。そこの二見地域にあった旧二見中学校の近くには御塩殿神社(みしおどのじんじゃ)という皇大神宮所管社があります。大きな目印はなく、御塩殿神社と書かれた石が電柱の間に立っています。この道路は車が1台ならゆったり走れるけど2台は難しいくらいの幅ですね。その目印の反対側には鎌倉初期の頃に伊勢参りに訪れた鴨長明が読んだ歌が刻まれていますよ。「二見潟神さびたてる御塩殿幾千みちぬ松かげにして」と刻まれています。現代語にすると『二見の浦に神々しくたっている御塩殿、どのくらいの年月、この浦の松かげに鎮座しておられるのであろうの意』という意味らしいです。そう鴨長明が歌を読みたくなるなとも思うのはこの神社は伊勢神宮に奉納する塩である『堅塩』を古来より変わらぬ手法で2000年以上作り続けている神社なのです。鴨長明が来たのは1185年前後くらいの話ですのでここでは約1200年の歴史があるのだなと思ったのでしょう。実際に塩を作っている場所は後半でお見せします。1枚目にあった写真の左には入り口がありここから入ります。境内を進んでいきます。そうすると社が見えてきます。ここでお参りをしますが、神宮所管社なのでお賽銭箱はありません。そして右奥に道があるので進んでいきましょう。途中から幅1mほどの砂地の道があり、少し進むと二股に分れているので左側に進みます。そして進んで行った先に茅葺きの建物が見えてきます。この正面にある建物が『御塩焼所』です。お塩を作るところですね。御塩焼所は鹹水(かんすい・塩分を含んだ水のこと)を鉄鍋で一昼夜煮詰めて、粗塩を得る施設です。建築様式は天地根元造(てんちこんげんづくり)であり、御塩汲入所よりも大きいです。ここで2000年以上堅塩を作っていたんですね〜。そして右にある建物が『御塩汲入所』お塩の元となる素材を保管する場所ですね。御塩汲入所は御塩浜(みしおはま)から運ばれた鹹水(かんすい・塩分を含んだ水のこと)を壷で保管する倉庫で、こちらも建築様式は同様で天地根元造です。なかなか見たことない建築様式ですので、初めて見たときはなんだかタイムスリップした感じになりました。この建物の裏側のすぐ近くには海が広がっています。なのでこの御塩焼所がある周りの植物は松林と砂浜になっていて普通は山や森に多い神社とはまた違う雰囲気を体験できますよ。堅塩は毎年3月と10月に焼き固めてつくらるそうです。二見に泊まる予定がある方はメジャーな夫婦岩以外に二見で行く候補として考えてみてはいかがでしょうか?

2025/07/02
朝熊かけねば片参り
「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」伊勢のパンフレットや旅行ブックなんかで見たことある文言ではないでしょうか?朝熊をかけるというのは朝熊山の事を指していて、皆山に登ってとある場所に向かっていたんです。それが朝熊岳金剛證寺(あさまだけこんごうしょうじ)。伊勢参りにやってくる人々はこのお寺にも訪れるのが古くからの習わしでした。このお寺の本堂は国指定有形文化財として認定されていて、祀られている菩薩様も「福威智満虚空蔵大菩薩(ふくいちまんこくうぼさつ)」という日本三大虚空蔵菩薩の一つなんです。かつての唐を彷彿とさせるような真っ赤な本堂はまさに圧巻。そして入り口の前には、青銅でできた虎と牛の像が、狛犬のように建っています。虎のほうが「智慧虎」といい、先ほど挙げた菩薩様の知恵を授かった虎として祀られています。牛のほうは「福牛」といい、頭に大黒様を乗せています。大黒様は商売繁盛を司る神で、菩薩様と一緒に本殿にまつられています。どちらも撫でることができて、いろんな人に撫でられているせいかお腹の部分だけつるっつるになっているんですよね。また本堂正面向かって右側のほうに進むと、朝熊山経塚へ向かう道を見つけることができます。経塚からはいくつもの出土品が発見され、出土場所を明確に残すために石塔が建てられていて、出土した銅製経筒や鏡、阿弥陀如来が描かれた「線刻阿弥陀三尊来迎鏡像」は金剛證寺で大切に保管されています。 そして最後に、金剛證寺の近くにひっそりと建っているお地蔵について書こうと思います。名前を「子授け地蔵尊」、別名「おちんこ地蔵」です。初めて見たときはびっくりしましたね…。その名の通り、ちゃんとおちんこがついてるんですよ。二つのお地蔵が縦並びになっているんですが、手前側のほうが「おちんこ」って感じが強いです。まぁ世界を見てみても、子孫繁栄を願う行事や祭事では男根を模したものが用いられることが多いですから、あまり驚くことではないのかもしれませんが…。子供が欲しい方や、逆にある程度子供が成長した夫婦がよくお参りに来て、子供ができるよう祈ったり、元気に育ってくれたことに対して感謝し手を合わせています。金剛證寺へ向かう道は朝熊山展望台にもつながっていますし、バスも運行しているので交通の面では便利だと思います。本当のお伊勢参りがしたい方は是非訪れてみてください!
History essay

2025/07/02
神鏡を鎮祭する『鏡宮神社』
皆さんの干支は何なんですか?私は寅年です。なぜこの話はしたのかは後ほど説明します…伊勢神宮内宮には五十鈴川が流れており、下流に行くと朝熊川という川と合流します。その合流したところには三角州ができ、そこに『鏡宮神社』という場所が存在します!神社までの道が舗装されていないので、一見わかりづらいですが軽自動車2台くらいは止める場所があります。入り口に着くとこのような道が続いており天気の良い日は非常に綺麗です。社に近づいていくと伊勢神宮内宮末社ですので、伊勢神宮にある社と同じ様式をしていますね。中洲にあるので、神社なのに木に囲われていないのが逆に新鮮ですね。この神社は「朝熊神社」の御前神、岩上二面神鏡霊(いわのうえのふたちのみかがみのみたま)を祀っていまして(朝熊神社とは朝熊川を隔てた向こう側にある森の中にある神社です)実は域内の右手奥に干潮時にのみ中洲に降りれる道ができます。この道をすすむと中洲に降りる階段があり、五十鈴川と朝熊川の合流を見ることができます。(綺麗ですね〜)後ろを振り返り神社が建っている場所の石でできた土台部分を見ると少し黒くなっている石と白いままの石が上下に分かれているのが見えると思うのですが、この黒い部分まで水が上がってくるのでやはり満潮の時はここには降りれないようですね。ここに降りる階段の近くに大きな石があり、木柵を設け神聖視されています。この岩の上に、二面の神鏡がお祀りされていた神聖な石で鏡宮神社とやばれる所以ですね。この神聖な石は『虎石』と呼ばれていまして、この石に神さまが降りてこられた依り代だとされています。とはいえ『虎』は元々日本にいない生き物なので、この石がどういう経緯でいつからそう呼ばれるようになったのかは少し謎ですね(笑)寅年の人は何か良い縁があるかもしれないので一度行ってみてはいかがでしょうか!

2025/07/02
朝熊平野を守る朝熊神社
朝熊町(あさまちょう)という町が伊勢にあります。『あさくま』でなく『あさま』と呼びます。しかし『朝熊神社』は『あさくまじんじゃ』と呼ぶようですね…地元民ほど間違えやすい!この神社は伊勢神宮内宮の摂社です。この神社は鏡宮神社と目と鼻の間くらいの場所にあり写真にある青色の橋を渡るとすぐです。(写真の右側に鏡宮神社があり左に朝熊神社)橋を渡るとこのような入り口があり上に上がる階段があります。右の小さい石の柱にはうっすらで読みづらいですが『朝熊神社』と書いてありますね。それでは登ってみましょう!境内には綺麗な綺麗な石畳が敷かれており、整理された森林の中を歩いて登っていきます。さあ社につきました!二つ社が並んでいました。ここには大歳神(おおとしのかみ)苔虫神(こけむしのかみ)朝熊水神(あさくまのみずのかみ)が祀られています。こちらの祭神はこの土地を守る神であり五穀と水の神の三柱で、向かって右側の社からお参りするのが良いそうですよ!流石に中まで写真を撮るのは失礼ですので正面の写真だけですが、この社の中の建物は私が見た感じ『高床式倉庫』と同じ形をしており五穀の神様だけあって穀物を収納しているのではないのかと思いました!朝熊御前神社と相並び、向かって右の神社を先にお参りするのが良いそうです。帰路に着く際、先ほどの石階段を見ていたのですがちょっと気になったところがあるんですよね。石階段の写真なのですが、右と左に水が流れる水路がしっかりと作られていると思いませんか?他の伊勢の神社でもこんなにしっかり階段に水路が作られている記憶がないので、ここは水の神も祀られているのでそういう儀式とかあるのかな?もし行ったときはぜひ注意してみていただければと!朝熊町の隠れた神社に行く際は徒歩や電車では基本無理なので、車で行くことをお勧めします!

2025/07/02
塩を作る神社
神宮の祭典で使われるお塩や米はスーパーで買ってきたものではありません。しっかりと太古から作る専門の神社があります。地元民が海水浴に行く候補の一つに『二見』という海沿いの地域があります。そこの二見地域にあった旧二見中学校の近くには御塩殿神社(みしおどのじんじゃ)という皇大神宮所管社があります。大きな目印はなく、御塩殿神社と書かれた石が電柱の間に立っています。この道路は車が1台ならゆったり走れるけど2台は難しいくらいの幅ですね。その目印の反対側には鎌倉初期の頃に伊勢参りに訪れた鴨長明が読んだ歌が刻まれていますよ。「二見潟神さびたてる御塩殿幾千みちぬ松かげにして」と刻まれています。現代語にすると『二見の浦に神々しくたっている御塩殿、どのくらいの年月、この浦の松かげに鎮座しておられるのであろうの意』という意味らしいです。そう鴨長明が歌を読みたくなるなとも思うのはこの神社は伊勢神宮に奉納する塩である『堅塩』を古来より変わらぬ手法で2000年以上作り続けている神社なのです。鴨長明が来たのは1185年前後くらいの話ですのでここでは約1200年の歴史があるのだなと思ったのでしょう。実際に塩を作っている場所は後半でお見せします。1枚目にあった写真の左には入り口がありここから入ります。境内を進んでいきます。そうすると社が見えてきます。ここでお参りをしますが、神宮所管社なのでお賽銭箱はありません。そして右奥に道があるので進んでいきましょう。途中から幅1mほどの砂地の道があり、少し進むと二股に分れているので左側に進みます。そして進んで行った先に茅葺きの建物が見えてきます。この正面にある建物が『御塩焼所』です。お塩を作るところですね。御塩焼所は鹹水(かんすい・塩分を含んだ水のこと)を鉄鍋で一昼夜煮詰めて、粗塩を得る施設です。建築様式は天地根元造(てんちこんげんづくり)であり、御塩汲入所よりも大きいです。ここで2000年以上堅塩を作っていたんですね〜。そして右にある建物が『御塩汲入所』お塩の元となる素材を保管する場所ですね。御塩汲入所は御塩浜(みしおはま)から運ばれた鹹水(かんすい・塩分を含んだ水のこと)を壷で保管する倉庫で、こちらも建築様式は同様で天地根元造です。なかなか見たことない建築様式ですので、初めて見たときはなんだかタイムスリップした感じになりました。この建物の裏側のすぐ近くには海が広がっています。なのでこの御塩焼所がある周りの植物は松林と砂浜になっていて普通は山や森に多い神社とはまた違う雰囲気を体験できますよ。堅塩は毎年3月と10月に焼き固めてつくらるそうです。二見に泊まる予定がある方はメジャーな夫婦岩以外に二見で行く候補として考えてみてはいかがでしょうか?

2025/07/02
朝熊かけねば片参り
「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」伊勢のパンフレットや旅行ブックなんかで見たことある文言ではないでしょうか?朝熊をかけるというのは朝熊山の事を指していて、皆山に登ってとある場所に向かっていたんです。それが朝熊岳金剛證寺(あさまだけこんごうしょうじ)。伊勢参りにやってくる人々はこのお寺にも訪れるのが古くからの習わしでした。このお寺の本堂は国指定有形文化財として認定されていて、祀られている菩薩様も「福威智満虚空蔵大菩薩(ふくいちまんこくうぼさつ)」という日本三大虚空蔵菩薩の一つなんです。かつての唐を彷彿とさせるような真っ赤な本堂はまさに圧巻。そして入り口の前には、青銅でできた虎と牛の像が、狛犬のように建っています。虎のほうが「智慧虎」といい、先ほど挙げた菩薩様の知恵を授かった虎として祀られています。牛のほうは「福牛」といい、頭に大黒様を乗せています。大黒様は商売繁盛を司る神で、菩薩様と一緒に本殿にまつられています。どちらも撫でることができて、いろんな人に撫でられているせいかお腹の部分だけつるっつるになっているんですよね。また本堂正面向かって右側のほうに進むと、朝熊山経塚へ向かう道を見つけることができます。経塚からはいくつもの出土品が発見され、出土場所を明確に残すために石塔が建てられていて、出土した銅製経筒や鏡、阿弥陀如来が描かれた「線刻阿弥陀三尊来迎鏡像」は金剛證寺で大切に保管されています。 そして最後に、金剛證寺の近くにひっそりと建っているお地蔵について書こうと思います。名前を「子授け地蔵尊」、別名「おちんこ地蔵」です。初めて見たときはびっくりしましたね…。その名の通り、ちゃんとおちんこがついてるんですよ。二つのお地蔵が縦並びになっているんですが、手前側のほうが「おちんこ」って感じが強いです。まぁ世界を見てみても、子孫繁栄を願う行事や祭事では男根を模したものが用いられることが多いですから、あまり驚くことではないのかもしれませんが…。子供が欲しい方や、逆にある程度子供が成長した夫婦がよくお参りに来て、子供ができるよう祈ったり、元気に育ってくれたことに対して感謝し手を合わせています。金剛證寺へ向かう道は朝熊山展望台にもつながっていますし、バスも運行しているので交通の面では便利だと思います。本当のお伊勢参りがしたい方は是非訪れてみてください!
Foods essay

2025/07/02
伊勢神宮の近くに湧水が、
『湧水を飲みたい』と母が突然言い出したことがあった。『はぁ またなんか言い出したな』と家族全員が思いました。親父は一度これに付き合わされていたらしく、『ああ、あそこね』みたいな反応でしたが弟は一度『ちょっと出かけよう』と母に言われ、車で寝て到着するのを待っていたところ気がつくと熊野古道まで連れて行かれた思い出(伊勢から片道約2時間)あるのでとっても嫌な顔をしていました。『内宮さんの近くやからそんなに遠くないから〜』と言ったので『まあそれなら近いか(片道15分)』と思い、ついていくことにしました。弟は微妙に信じてない顔をしていたが、渋々ついていくことに…内宮はおかげ横丁の近くの伊勢神宮であり、神社のトップ・オブ・ザ・トップである!観光地として有名なもんだから、そんな場所の近くに湧き水なんてあるのかと思っていました。車で内宮に近づき、宇治橋(内宮に渡る大きな橋)周辺の駐車場を右手にそちらはスルー駐車場に目が行きがちなのですが、実はその先にも道があって『県道12号線(伊勢南勢線 通称:五ヶ所街道)』が通っています。なので、普通に道路として五十鈴川上流に向かうことができ、私たちはそのまま県道を剣峠(頂上の方に剣のような岩が立っているから)の方に向かって山の中へと入って行きました。車で行けなくはないのですが、もしこのエッセイを読んだ方で行ってみたいと思う方は車幅が狭い車で行ったほうが良いです。対向車とすれ違う際に結構大変です。2.5kmくらい走ったところで、山肌にある小さな洞の中から水がチョロチョロと湧き出ているのを発見!『おお〜 本当にあったんだ』と思う私と『今回は本当に近くで良かった〜』と思う弟。(笑)思ったより知られているようで、私たちの前に水を汲んでいる方がいたので順番を待ちます。待っている間、五十鈴川のせせらぎを聴きながら森林を眺めます。この湧水のあるあたりは内宮を囲むように背後に神宮林広がっており、道路は通って大丈夫ですが、森に入るのはダメですのでお気をつけください。ちなみに伊勢市の森林の約1/2が神宮の森です。前の人が注ぎ終わり、空のペットボトルに汲んでみて湧水を飲んでみたのですが、確かに飲みやすい。とゆーか、伊勢は水が美味しい地域なのでなんだか慣れ親しんだ感じがする安心する味わいでした。(伝わりづらいかこれ…)訪れたのが冬だったので、湧水や井戸水ってなんだか冷たいイメージがあるので冬に飲むのはきついなと思っていたのですが湧水って水温が変わりずらいから『夏飲んだら冷たく』『冬飲むと暖かい』ので、視覚的には冷たいところから湧き出ているのに飲むとほんのり温かいという不思議な体験をしましたね。次回はこれでコーヒーを淹れてみたいなと思います。この湧水へは一般の方でも方でも行くことができますので、ご興味あればぜひただ危険な道ではありますので、お気つけて来てくださいね。

2025/07/02
年末の伊勢神宮『どんど火』
12月31日の伊勢神宮に行ったことはありますか?私も年末に伊勢神宮へお参りはするのですが内宮(おかげ横丁の方)はと〜〜〜ても混んでいるので、外宮(伊勢市駅に近い方)に行きます。年末には『大篝火(おおかがりび)』通称『どんど火(び)』が神宮内で行われています。このどんど火を見に行くと『今年も終わりなんだなぁ』としみじみ思います。どんなイメージかというと非常に大きな焚き火をしていると思ってもらえればイメージしやすいかなと思います。伊勢神宮の中で4〜6箇所でどんど火を行い参拝する方々の暖を取る場所になっています。バリバリ伊勢神宮の境内でやっているので『これ木に火がうつったらやばいよなぁ…』と少し心配になります笑昔は2~3mくらいの高さに木が組まれていたので、すごい圧巻などんど火だったのですが、流石に強風の日だと神社の森が燃えるかもしれないので現在は1.5mくらいになりました。直径は5mくらいあります。どんど火は観光客の方々からすればただの暖が取れるスポットなのですが地元民はこの火を使って『餅を焼きます』この餅を焼くために伊勢のそれぞれの家庭は、自作した餅を焼く道具を開発しうまく焼ける方法を試行錯誤しています。なので家庭ごとにいろんな形の餅焼き道具を持ってきていますね。さてこの餅、なんで食べられているのかというと『どんど火の炎で焼いた餅を食べると1年間無病息災でいられる』と言われており私の今は亡くなった祖父母が、癌になった時は『これを食べると来年もなんとか生きていけそうやわ』と言って食べていました。確かに、キャンプ飯と同じ感じで外で食べる飯は非常に美味しいという効果に加え、伊勢神宮の中で焼いた餅なのでさらに効果があるように感じますよね。このどんど火は外宮は大体18時くらいから内宮は20時くらいから行われます。特に神聖な感じで始まるという気配はなくなんだかぬるっと始まります。このぬるっと始まる感じが地元民から愛される行事なのかもしれませんね。※火の粉が非常に舞っているので、ダウンジャケット穴が開くことがありますので、ご注意を!

2025/07/02
面白い「伊勢うどん」ヒストリー
みんなは伊勢市の名物「伊勢うどん」を知っているだろうか?あの麺にコシがないことで有名なうどんだ。私は蕎麦派なのだが、伊勢うどんだけは別でとても好きなのである。食べたことのない人に味を説明すると、甘辛いタレが底の方に少量あるだけで出汁を使ったつゆは無い。そこに極太の柔らかい麺があり混ぜ麺のようにかき混ぜてタレを絡ませてから食べるのだ。私は今回仕事で戻っている際に伊勢市にある伊勢うどんメーカーの社長さんに会う機会があり本社へ伺った。話は少しズレるのだが、東京にも伊勢うどんは実は売ってはいる。ちょっとお高めのスーパーならごくたまに見かけることがある。しかし「これが本家の伊勢うどんだ」と伊勢志摩の人間が認めるのは実は伊勢市にある「3社の伊勢うどんメーカー」のみで他のは「う〜ん なんか違う」と思ってしまう。残念ながら東京に売っている伊勢うどんは「う〜んなんか違う」の方しか私は見たことがない。ぜひ伊勢志摩へ宣伝を挟んだところで、本編に戻ります。伊勢うどんのルーツについて社長さんに聞いてみたのだが結論から言うと「諸説あるが わからない」らしい。タイトル釣りをしてしまい申し訳ないが、私も知りたかった。これまで言われたルーツは様々あり有力なのをいくつかあげてみよう1:昔伊勢まで来た人たちは歩いてきて弱っているので、消化に良いものを食べさせるために、麺がやわらくなった。2:江戸時代には毎年500万人ほどのお伊勢参りをする方がいて、硬い麺をい茹でている時間などないから、柔らかくしてすぐに提供できるようにした。この説が有力だった、しかし近年の研究でやっぱり発祥はわからないとなってしまった。文献などが残ってないらしいのだ。讃岐うどんのルーツは弘法大師空海が中国から持ち帰った製法をみんなに教えたことが始まりとわかる文献が残っているが、伊勢うどんにはそのような文献が残ってない!残っていらたこんなにモヤモヤしない!ただ資料が残っているものとして、伊勢神宮へ行く際に川を船で渡す船頭さんがたくさんいて、その人たちがその日何人乗せたかを記録したものはあったらしく、そこから年間500万人ほど伊勢に人が来ていたらしい。500万人て2023年現在の伊勢市にくる観光客の人数と同じくらいで、江戸の当時では日本の全人口は3000万人ほどなので6人に1人は来ていることになる。私はまだこれが本当だとなかなか信じられないのだが、今のところそうらしい。笑なので江戸の当時、そんなにうどんを作ってお客を捌けるわけがない!そもそもお伊勢参りの絵には「伊勢うどん屋」ではなく「うどん屋」としか書かれていないようで、正式な伊勢うどんになったのもいつかわかっていない。逆にここまでブラックボックスになっている料理だと思うととても面白い!ちなみに500万人もの江戸時代の人が来ていたために日本3代遊郭の一つ「古市」がありました。第二次世界大戦の影響で現在の伊勢市には当時の面影は一つも残ってはいません。しかし、古市があったためにそこで楽しまれた「伊勢音頭」は全国に広まり様々な地域の温度や民謡のベースになっていると言う話も聞きます。なぜこんなに影響があったかというと伊勢という土地は「一般市民が楽しめる場所」だったということがあります。京都や江戸はなかなか位の高い人や、商人しか行けない地域であったのですが、伊勢には農民の方もたくさん来ることができ、だからこそみんなに楽しまれたのです。しかも外宮領土民と言われる地元の一般市民は年貢を納める義務がなかったのです。天皇もいないし武士もいない、そんな地域一般市民は歴史の資料にも残らない人たちの、様々な生活から生まれた文化があり、それを口頭や行動で伝承していって、足りないところはブラッシュアップをして今の伊勢うどんもできたのかもしれません。トップの一部の人たちの記録が残るばかりに、信じ込んでいる歴史が私たちの常識になっていますが、文献や資料がある人は全人口のほんの一握りで、当時の文化や文明は多くの一般市民からなっていることを気付かされた体験でした。今回のお話はここまで、上記の文章についても確信的な情報ではないので、冗談半分に聞いてください。もし何か知っていることがあれば教えて欲しいくらいです笑地元民ならこんな感じで伊勢志摩のことを面白おかしく話せるので、私と伊勢観光するのは楽しいかもしれないですね笑今回の伊勢うどんのメーカーさんとのお話で伊勢という土地にはまだまだ面白いことが多く埋まっている気がしますね。伊勢志摩についてもっと詳しく知りたい方はまた別の話題でお会いしましょう。では!
Character essay

2025/07/02
月夜見さんにこだまする
伊勢市には日本神話に出てくる超メジャーな神々が祀られている神社が沢山あります。日本神話に詳しくなくても、某、ジャンプで人気だった忍者漫画に出てくる技の名前や。某、パズルとドラゴンのスマホゲームに出てくるキャラクターの名前などどこかで聞いたことある日本の神様の神社が伊勢市にはあります。伊勢神宮は内宮と外宮の2つなのですが、それらの別宮が伊勢市内・外にいくつか鎮座しており町中いろんな場所に神社を見つけることができます。私の中で思い出深い別宮は『⽉夜⾒宮(つきよみのみや)』と呼ばれる神社でして、なぜこの神社に思い出深いかというと私の通っていた厚生小学校の裏にある神社なんですよね。この場所は子供の頃に前を通ると、いつでも暗くてちょっと怖い印象があったのですが、大人になった今行くと街中とは思えないほど凛とした自然が広がっていて良い場所だなと思う様になりました。この⽉夜⾒宮、ご祭神は月夜見尊(つきよみのみこと)。天照大御神の弟神で内宮の別宮、月読宮のご祭神と同じです。『月』という文字が使われていることから、月を神格化した夜を統べる神様とされておりますが古事記や日本神話においてほとんど出番がなく、なんだかあまりよくわかってないのが事実らしいです。地元民は『月夜見さん』とみんな呼んでおり、月夜見宮と呼んでいる人に私は出会ったことがありません。それもそのはずで、私の通っていた小学校の校歌にはこのように書かれていて一 かがやくひとみ 明るい笑顔 今日も元気で 呼び合う声が月夜見さんに こだまする 僕のわたしの 楽しい夢が 花咲く厚生小学校厚生小学校 校歌一番と6年間この校歌を歌っていれば、そりゃ月読見宮とは言わないですわな。この『さん』などの敬称を場所や無機物につける傾向は他にもあって、『外宮』『内宮』のことを地元民は『外宮さん』『内宮さん』と呼びます。私はこの『外宮さん』という言葉を見ると、死んだじいちゃんの声で読みあがってきますね。(笑)関西方面では親しみやすさを出したり、敬意を払うものに対して『さん』をつける傾向にあり関東では『様』をつける傾向があらしいですね例えば月のことを関西では『お月さん』関東では『お月様』と呼びますからね。東京に来て思いましたが、たまにこの無機物や場所に『さん』づけをする癖が出てしまうと『はぁ?』みたいな顔をされますので西の皆さん気をつけてください。(笑)月夜見宮へは、外宮北御門から北へ伸びる「神路通り」を歩いて10分かからないくらいで着きますのでぜひお立ち寄りください〜

2025/07/02
おかげ犬
江戸時代ものすごいお伊勢参りブームだったのですが、人間以外にもお参りをする動物がいました。それは『犬』です!伊勢参りをする犬を『おかげ犬』と呼び首に巻いたしめ縄に、路銀を入れた巾着を付け「伊勢参りをする」と書いた紙をくくりつけて伊勢まで旅をしていたのです。なぜ犬がお伊勢参りをしたかというと病気や歳で伊勢まで行くのが困難な主人の代わりに他の人と一緒に連れて行ってもらうい自分の代わりにお参りしてもらうためという理由でした。そのため「おかげ犬」は同じ伊勢を目指す人と並んで歩いているのが本来の有り様でした。しかし、伊勢参りが大ブームになった1700年後半1771年に伊勢神宮の上方から犬が単独で参宮したという話が舞い込んできたのです。フィクションかと思いますよね。しかし当時は、犬は四つ足の獣で、穢れた存在とも言われていたため、当然宮司さんたちも宮中に犬が立ち入ることを固く禁じていました。ただ、その犬に限ってはあまりにも丁寧な佇まいであったためこれを見た宮司は犬を労り抱えて、お祓いした後お札を付けて放してあげたとされています。放してもらった後、その犬は伊勢神宮の外宮へ赴き手洗場で水を飲み、本宮前の広場で伏せをし、本当に拝礼するかのような格好をしたと言われています。伊勢神宮へとたどり着いた「おかげ犬」は、伊勢神宮の宮司さんから竹筒に入ったお札を貰い、再び色々な人から助けてもらいながら、ご主人の元まで無事に帰ったと言われています。お伊勢参りに行く人を助ける善意は徳が積める話は前回しましたよね?その対象は人間だけではなく犬もだったそうでおかげ犬も色々な人に助けられて伊勢神宮を参りご主人の元へと帰ることができたのでしょう。江戸時代にどれだけの「おかげ犬」が誕生したかは分かりませんが、、江戸時代の浮世絵師である歌川広重の【伊勢参宮宮川渡しの図】や【東海道五十三次 四日市】には所々にしめ縄をつけた犬が描かれています。多分この犬こそ『おかげ犬』なのではないでしょうか?おかげ犬については有名な実話があります。秋田犬シロというわんこのお話です。福島県須賀川市十念寺には、お伊勢参りを無事に果たした代参犬、「シロ」という犬にまつわる犬塚が存在します。「シロ」の犬種は秋田犬で、福島県で代々床屋を営んでいた市原家は、それはそれは大事に飼っていた犬でした。市原家では毎年当主の綱稠(つなしげ)氏が、皇大神宮(内宮)神楽祭りに参拝するのが通例だったそうなのですが、ある年の事、当主が病気を患ってしまい、お伊勢参りに行けなくなってしまったとか。そこでどうしたものかとみんなで相談をしたところ、普段から人の言葉を理解でき、買い物や用事をこなしてきた「シロ」に代参をさせようということが決まりました。「シロ」の首には、事前に道順とお金、『人の言葉を理解するので道順を教えてあげてください、『「シロ」を助けてあげてください。』と書いた紙を袋に入れて持たせ、伊勢神宮へと向かわせました。市原家の人々は須賀川宿の外れまで「シロ」を見送り、その後は朝晩神棚に行灯を挙げ無事を祈ったと言います。そして「シロ」は、市原家の期待に応えるように、奥州街道を下って江戸に入り、東海道~四日市市経由で伊勢神宮へ赴き、2カ月という長い月日を経て、無事に市原家まで帰ってきたのでした。行きで持たせた袋の中には、しっかりと内宮で頂いたお札と、奉納金の受領、食べ物の代金を記した帳面とお金の残りがあったと伝えられています。https://www.inutome.jp/c/column_12-37-42931.htmlいや〜本当にすごいですね。優れた帰巣本能がある犬だからこそできたお話です。猫だったらどうだったのでしょうか笑猫も一応帰巣本能あるんですけどね。現在伊勢では『おかげ犬サブレ』などおかげ犬をモチーフにしたお土産も売っています。地元で商売しているからわかっていることですがおかげ犬サブレを製造販売しているのは『赤福』です笑日持ちするお菓子なのでぜひ会社の人たち用のお土産に!
Others essay

2025/07/02
天空のポスト
伊勢市と鳥羽市を結ぶ道、伊勢志摩スカイライン。内宮から三重県立陸上競技場に向かって車を進めると、その入り口が見えてきます。朝熊山の上を突っ切るような形で道が敷かれているため、道中はほぼ坂。そしてかなり蛇行しています。そのためスカイライン内へは歩きや自転車で入ることはできません。バイクでも125㏄以下のモノは通行禁止となっています。なんせあの勾配ですからね…。通ったことのある方は共感できるのではないでしょうか。鳥羽へ向かう、伊勢へ向かう際の利便性はさることながら、一番の目玉はその頂上にあります。展望台、展望台があるんですよ、360度見渡せる。展望台近くには駐車場があって車で行けるのですが、実は歩きでも行くことができるんです。朝熊山のハイキングコースとつながっていて、よくリュックサックを背負った登山姿の人たち見かけますね。駐車場のすぐそばにお土産屋さんと食事処があり、傍の階段を昇ると広場があります。そこが展望台。伊勢・鳥羽を一望できるんです。先にお土産屋さんのほうについて書きましょうかね。店内に置いてあるお土産は伊勢・鳥羽に関するものがほとんどで、伊勢エビ味のお菓子屋ご当地サイダー、あとは最近鳥羽市とコラボしているミジュマル(ポケットモンスターの御三家)グッズなんかもあります。地ビールもありますね。ここに来るだけで伊勢鳥羽のお土産はほぼすべて揃えられるんじゃないでしょうか。そして特徴的なのが、はがきを売っているところなんですよね。御当地はがきを売っているところはほかにもあると思いますが、ここの本題ははがき「そのもの」ではないんですよ。店内ではがきを買うとしましょう。普通なら家に帰ってから書きますよね?でもここにははがきを書くスペースがあるんですよ。そこでみんなはがきを書いて(ご当地スタンプもあって書くのが楽しい)いるんです。じゃあこのはがき、どこに持っていきます?ポストですよね。でも、わざわざ下に降りてからポストを探すなんてこと、みんなしません。先ほど言った広場に、吹きすさぶ風の中、ぽつんとポストが佇んでいるんです。その名を「天空のポスト」。標高約500メートルにある赤いポストです。みんなここに投函するんですね。投函したはがきは配達員の方が取りに来てくれます。ちゃんと宛先に届くのでご安心を。そしてそのすぐ近くに、景色を眺めながら浸かれる展望台足湯もあるんです。大人一人百円で浸かることができて、先ほどのお土産屋さんで足ふきタオルも買えます。ここの足湯に浸かると、目の前には鳥羽市内と伊勢湾岸が一望できるわけです。ポストで写真を撮ったら足湯に浸ってリラックス、なんてのもいいかもしれませんね。

2025/07/02
駅前の鳥居と外宮参道
内宮といえばおかげ横丁、じゃあ外宮は?参拝に向かう道中、五十鈴川を傍目におかげ横丁に足を運んだ方は多いのではないでしょうか?お伊勢参りに来た旅人たちをもてなす役目は、時代が変わった今でも確実に受け継がれています。老舗はもちろんのこと、今風の店も少しずつ増えてきており、来る人たちを満足させるようなものとなっています。では外宮前はどうでしょうか?実はあるんです。その名は「外宮参道」。市内で愛されている牛乳屋や、地ビールを販売をしている店、伊勢うどんの食べられる食堂などが並んでいます。外宮に参拝にいらした方は必ずと言っていいほど通っている道でしょう。それもそのはず、外宮参道はその名の通り、現在の伊勢市駅(旧:山田駅)から外宮までをつなぐ道なのですから。この外宮参道、実は最初から「観光地として」活気があったわけではありません。というのもこの道が開通した1899年に伊勢市駅(旧:山田駅)、そこには数多く旅館が数多く立ち並んでいたのです。その数の多さは「日本三大旅館街」に選ばれるほどのモノで、活気を伴っていました。この頃はまだはっきりとした道の名前はなかったようです。しかし1945年の宇治山田空襲により立ち並んでいた多くの旅館が火の海に呑まれてしまい、焼失。戦火が収まった後も復興が遅れてしまい、宿泊施設の再建もなく、宿としての機能が失われてしまったのです。その後、1953年に式年遷宮が行われ、それを記念するために駅前に巨大なコンクリート製の鳥居が建てられました。しかしこの鳥居は、のちの道路拡張工事の際に撤去されてしまいます。1955年に名称が「三重県道24号山田停車場線」となり、1972年に「三重県道24号伊勢市停車場線」変更されました。1983年には、街路樹の設置と電線地中化が行われ「コミュニティ通り神宮参道」の愛称がつけられました。今でも「外宮参道」のことを「コミュニティ通り」という人は多いですね。(かくいう私もその一人です)ただ道路の整備状況とは裏腹に外宮への参拝客の数は減っていきました。1993年以降から式年遷宮(20年に一度行われる、社殿を造り替える神事)や志摩スペイン村開園などが立て続けに起こり、観光客が注目度の高い内宮に集約することになったのです。こうした中、外宮前で店を営む人々は外宮に対する知識や理解が不足していることに気が付きました。そこで外宮についての学習会をはじめ、理解を深めるとともに参拝客に対するおもてなしができるように準備を始めたのです。そして2006年ごろ、通りに石畳舗装が行われ、愛称が「外宮参道」となったのです。そして2013年、かつて壊された駅前の鳥居が復活を果たします。以前ほどの大きさではないものの(前は高さが17メートルもあった)、木製で高さが約5メートルの鳥居が建っているんです。そんなこんなで外宮参道、今では飲食店や宿泊施設などの新規出店もあり、週末や長期休みには賑やかな様子が見受けられます。次に伊勢に来るときは、内宮だけではなく、外宮にも来て外宮参道を歩いてみてください~。

2025/07/02
伊勢の今と昔を繋ぐ『勢田川』
伊勢市には地元民に親しまれている川が3つほどあります。一つは宮川。川幅が広く夏には花火があがる祭りも行われており、中高生がズボンのすそを挙げて水遊びをしていることもしばしば。二つ目は五十鈴川。伊勢を代表する神宮「内宮」のそばを流れる澄んだ川です。県外からやってきた観光客も、参拝の行き帰りで五十鈴川の土手沿いを歩いた人は多いと思います。そして三つめは勢田川。河崎という街の傍を縫うように流れている川です。 澄んだ川、ではないものの地元民にとても親しまれている川ですね。 伊勢高校や皇学館大学、伊勢学園に通う学生たちはほとんどこの川を渡って登校しています。一時、この川に大量のボラが発生して、学生たちがこぞって土手の傍で眺めていたことも…。このボラの量というのが凄まじくて、あまりの多さに魚たちが移動するたびに川に小さな波ができるんです。しかも背びれが水面から出るたびに太陽の光が反射して、小さな波が銀色の輝きを放ちだすものだから、通行人も「何だあれは」と立ち止まってしまう。今でも「あれは何だったんだ」と思いますね。この勢田川という川は江戸時代より船を用いた運送業が盛んで、荷物を下ろす船着き場として発展していった、いわゆる問屋街を形成した川なのです。問屋街ができた後も水運は続けられ、街の活気は第二次世界大戦前まで続いていました。しかし第二次世界大戦後、物流のおもな輸送方法が船からトラックに変わったことで水運は衰退し、街の道路が狭かったことも相まって長らく続いていた水運は幕を閉じてしまいます。加えて河川改修により昔の面影は消え、付き合いの消えた川には生活用水が流されていました。そのため水は汚染され、いたるところにヘドロのついた川に成り果ててしまったのです。今でも川崎の街には問屋街だったころの建物を使ったカフェや街並みが並んでいます。その中の一つに「河崎川の駅」という蔵が川沿いに静かに立っています。この川の駅というのは河崎町が川を生かしたまちづくりをするうえで、勢田川を再生するシンボルとして建てられたものです。 誰でも立ち入ることができて、中はかつての蔵を再現しており、階段を上るとこれまでの勢田川の軌跡が描かれた年表や写真などが展示されています。 川沿いの道に出ると滑らかな堤防の合間に船着き場があり、それらを一望できるようにちょこんとベンチが置いてあるのです。ヘドロの除去作業や市民の協力により、勢田川はかつての姿を取り戻しつつあります。 川の濁りは少なくなりひどい匂いもしなくなりました。 休みの日には川べりを走る人や散歩する親子を見かけられて、コロナが明けたことで勢田川で開催される祭りも再開し始めました!もし伊勢に訪れる機会があるのなら、是非河崎の街もとい勢田川の傍を歩いてみるのも良いかもしれませんね。五十鈴川のような澄んだ景色や伊勢神宮のような太古からの伝承はなくとも、 そこには確かに伊勢という土地そのものの歴史が眠っているのですから。

2025/07/02
高さ22mの『大鳥居』
お台場には巨大なユニコーンガンダムが立っていますよね。伊勢にはそのガンダムと同じくらいの大きさの『鳥居』が立っています。伊勢に自家用車で来た方は伊勢インターで降りて内宮と外宮に向かった方が多いと思いますが、その道にはないんですよね。イセシマップのピンが打ってあるところに『大鳥居』があるのですが、普通に車で通っても大きすぎて車で通り過ぎる際に気が付かないことが多いです。このみちは『御幸道路(みゆき)』と言われる道で1910年に開通したと言われています。この道ができるまでは伊勢参宮街道(古市街道)しか外宮と内宮に行く道がなかったらしく、結構不便だったそうです。確かにあの道ってかなり幅が狭くて、勾配が急なのでとても車で行くとしても慣れてないと危険なんですよね〜1800年代後半に初めて明治天皇が伊勢神宮に参られた際、道が不便だということが問題になりこの御幸道路は作られた様です。話戻りまして、この大鳥居に関してなんですが『まあよくこんなでかいもの作るお金があったなぁ』と思うじゃないですか。しかもこの大鳥居は2代目で1代目は1956年から1988年まで伊勢市駅前にあったそうです。しかも寄付してくれたのはパナソニック創設者の松下幸之助さんでした、伊勢神宮が京都の神宮と比べ『清楚』であったため神社への認識が180度変わったそうで1966年10月から、(伊勢)神宮崇敬者総代を務めていたそうです。しかし伊勢市駅前開発の際に大鳥居が撤去された後、伊勢市民の間で再建を望む声が上がりそれを聞いた桑名市にある勢濃工業株式会社さんが現在の2代目大鳥居を建設してくださった様です。御幸道路の街路樹は真珠養殖のパイオニア御木本幸吉さんが寄付して作られているそうでいや〜 いろんな方々の手によって自分の故郷の魅力が作られているのは本当にありがたいことですね。この鳥居を見ながら外宮・内宮を行き来したい方は人力車を使うのがおすすめだと思いますので、車夫さんにぜひ『大鳥居』が見えるルートでと伝えてあげてください。